「がんで死ぬ」と発言した"創価学会員"から再び「死ぬ」と脅された件

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「がんで死ぬ」と発言した

昨日予告して、今日書く予定だった「今日のエッセイ」は、あとで別記事にて公開します。なぜなら、昨夜に起こった出来事をまず書き記しておきたいと思ったからです。

先日の記事に書いた「悪徳がん商法、まさか手術で死ぬって…創価学会員に折伏を強要、仏具を買わされる」ですが、この件で昨夜、さっそく張本人から電話がありました。

相手の言い分は次のようなものでした。
  • 創価学会に歯向かう発言をすると「殺される」
  • 私の場合は呪われるので、近いうちに「病気で死ぬ」ことになってしまうだろう

このような事を平然と言ってのけるのです。これって、一種の「脅迫」ですよね。

こんな言葉を浴びせられた相手がどれだけ心に傷を負うのかをまったく意に介さないのです。

巷でよく「創価学会員」についての話題がのぼりますが、これは信仰の意味をはき違えた一部の末端信者の仕業かと思いました。彼らの過度な行動が原因となって、創価学会の全体としてのイメージを悪くしているようです。

"主観の塊"で出来ているかのようにも思える彼の発言。このように"非礼な発言"をする人間が身内にいたと仮定した場合、あなたならどうしますか?

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「信仰」というものは、決して悪いことではありません。創価学会も立派な宗教団体だと私は思っています。

しかし、創価学会に限ったことではないのだけど、その"教え"というものが末端に対して正しく伝わらない結果、このようにおかしな行動をする人間が出て来てしまうことが多々あるようです。

自分の選んだ信仰を盾にして相手を脅してみたり、他人の宗教を弾圧してみたり。さらに、信仰を強要することなどは決してやってはいけないことなんです。

日本国憲法では「信教の自由」が保障されています。これは、過去に信仰を強要したことで人々を不幸にしてきた反省の意味合いも込められているのです。

彼の発想は、現代社会とはまるで時代錯誤しており、戦前の国家神道を彷彿とさせるような危険なものです。むしろ、"洗脳"されているといった方が適切なのかも知れません。

信仰というものは、時には権力者の道具に使われたり、人を洗脳してオウム真理教事件のような凶悪犯罪を招きかねない危険な一面をも孕んでいるので、注意が必要です。

洗脳されればされるほど、他人の考えが受け入れられなくなり、自分の思想が主観に支配されてることが客観視できなくなります。手遅れになる前に他人の助けを借りないと、カルト集団に悪用され、犯罪にまで手を染めてしまう危険もあるのです。

入信しないとバチが当たって死ぬ」とか脅してきたり、強要されて始める信仰などに何の価値があるのでしょうか?それが分からないようでは、まずは自分自身の洗脳について疑ってみたほうが良さそうです。

また、仮にそんなことを本当に創価学会が信者に対して推しているのであれば、宗教団体としての存在価値が疑われる所以です。

彼を始め、そんなことも分からず他人に対して信仰を強要したりしているのだとすると、本当にかわいそうな人なのだな、と思います。

信仰は、持つことも持たないことも自由です。何人たりとも強要されることがあってはなりません。
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