【プロローグ】胃ガン宣告から手術後1年まで。私が癌を克服した経緯

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こんにちは。胃癌ブログの管理人Mです。今回は自己紹介を兼ねて術後1年目に別の場所で書いたノートを一部転載したいと思います。



突然、胃ガンの宣告をされた場合、どうすれば良いか分からない方も多いと思いますが、少しでもご参考にして頂ければと思います。



【プロローグ】胃ガン宣告から手術後1年まで。私が癌を克服した経緯



術後1年


皆様のご厚情・ご協力に支えられ、おかげさまで、4月5日をもちましてとりあえず術後1年を迎える事となります。



国民の2人に1人がなるといわれる癌について、経験者として簡単に経過をのこしておこうと思います。



何かの時にご参考として下さい(^_^;)



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◆ガン告知



おととしの年末、飲み会でテキーラを20数杯一気飲みした所、血らしきものを吐いた気がした。



元々普段から何となく貧血気味で調子が悪かったが、ここ数年仕事が忙しく、毎日の睡眠時間が平均3時間位だったので、疲労と睡眠不足のせいかと思っていた。



そこで、たまにはいい機会と思い、自宅近所のクリニックへ15年ぶり位で診察に行ったのが事の始まりだった。



内視鏡検査というものを生まれて初めて行った結果、胃潰瘍らしきもの以外に、ヒダが集中している部分があるので、念のためという事で近くの大学病院の紹介状を書いてもらい、再度検査を行った。



その大学病院で再び内視鏡検査を行っている時、検査医が何だかため息を漏らしたのが聞こえた。
「ご家族で、癌になった人はいますか?」と聞かれたので、「はい。父親が胃癌で亡くなりましたと答えた。何だか、一瞬嫌な予感がした。



その後、診察室へ行き、医者から、あなたは胃癌です。それも、2~3年かけて出来ており、リンパ節まで転移している。すぐに手術しましょう。胃と脾臓を全部切除し、すい臓も切除するかも知れません。と、淡々と説明してきた。



突然癌の宣告を受けてドキッとしたが、同時に、何で今まで定期検診をしなかったのか!!と後悔の念が湧き上がった・・・。



一瞬、人生で初めて「死」という文字が頭に浮かんだ時である。



◆がんセンター



すぐ手術と言われても、突然の事で、自分自身納得出来ず、何かの間違いの可能性があるのでは?と数日悩んだ。



そこで、たまたま仕事で伺った取引先の副社長にこの事を話した所、築地のがんセンターがいいわよ!!」と教えて頂いたので、紹介元のクリニックへ行き、がんセンターへの紹介状を書いてもらった。



しかし、がんセンターに、紹介状があるので診察を受けたい旨の電話をした所、その紹介状ではうちの病院では診察を受けられないと言われ、門前払いを受けた。



がんセンターは特定機能病院なので、癌の宣告を行った病院からの紹介状でなければダメで、なおかつ紹介元の医師ががんセンターの医師と知り合いで、医師から医師への紹介状でなければならないとの事だった。



少なからず動揺したが、再び癌宣告先の大学病院の医師の元へ行き、紹介状の件を相談した所、たまたまがんセンターの医師が東大医学部の先輩で知っているとの事で、紹介状を書いてもらった。



しかし、大学病院の医師は、紹介状を書くのをとても嫌がったのを覚えている。
自分で手術を行えば、実績となるからであろう。



インターネットで調べた所、紹介されたがんセンターの医師は、その道の権威で有名な方だった。



さっそく、がんセンターへ診察に行った。



紹介先の医師に会い、最初に言われた事は、「この病院に来れて良かったね。普通の大学病院レベルだと、うちに比べて研究と治療方法が10年遅れてるから。すぐに手術してたら助からなかったよ。」自分は運が良かったのか。



◆臨床試験



紹介先の主治医から告げられた正式な病名は、高度リンパ節転移を伴う進行胃癌。進行度を表す病期は、現段階で「少なくとも、ステージⅢB以上ということであった。



早期癌(ステージⅠA~ⅠB)の場合、標準治療(現在までに効果が科学的に証明されている治療法や、大規模な臨床試験によって得られた証拠に基づいて行われる治療のこと)というものが確立しており、治癒する可能性が高いが、私の病期まで進行してしまうと、癌がすでに胃の表面に出てリンパ節転移が起こっているため、手術等だけで治療することは現代医学では難しいそうだ。



いわば、不治の病の領域な訳だ。



通常、ここまで説明を受けると、人間の精神状態として、ショックを受けて目の前が真っ暗になったり、泣き叫んだりしそう(実際、待合室でその様な若い女性を見かけました)なものだが、実際のところ、物事の進むスピードがあまりに早く、ここまで言われても、自分自身の事として認識出来ない(受け入れられない)というのが現実だ。



病気としての自覚症状(身体が痛むとか)が全くない事も影響しているのかも知れない。



「そうですか」としか返答しようがない・・・。



そこで、主治医より提案があり、日本臨床腫瘍研究グループ(JCOG)で行っている臨床試験JCOG1002への参加を勧められた。



この臨床試験JCOG1002とは、外科手術のみでは完治を望むことは難しいので、手術の前後に抗がん剤による科学療法を追加する治療を試みるというものらしい。



主治医の迫力ある説明に圧倒されながら、癌に関する知識を全く持ち合わせていない自分としては、とりあえず同意のサインをして身を任せるより他道はない・・・。



◆審査腹腔鏡手術



がんセンター初診から1週間後、腹膜等、体中に癌が遠隔転移していないか調べる為、腹に3箇所(自分は2箇所だけだった)穴を開けて行なう手術を行った。



生まれて初めての全身麻酔、手術だった。



もし、遠隔転移が見つかったら、助かる道はないと聞かされていたので、覚悟して臨んだ。



手術の前日に入院し、3日間だけ入院の簡単なものだった。



手術当日は、病室から車椅子で手術室へ向かったが、体はピンピンしているので何だか恥ずかしいものだ。



手術室入口で名前と血液型を聞かれ、「О型です」と答えたら、あなたはA型ですよ!!と怒られてびっくりした。今まで親からО型と聞かされて生きてきたのだ・・・。



手術台に横になり、酸素マスクを口に当てられ、麻酔のおばさんが「今日はバナナの香りにしましたよ」なんて言っている。「え?何ですか?」と答えたら、もう手術は終わりましたよ!!・・・。気がついたら手術は終わっていた。全身麻酔は恐ろしい・・・。



間もなくして、主治医から遠隔転移は認められなかったと報告を受け、ホッと胸をなでおろした。



◆術前化学療法



3種類の抗がん剤(①ドセタキセルシスプラチンTS‐1)を使用した。



治療は4週間(2週間抗がん剤投与、2週間休薬)を1コースとして、3コース行った。このうち、①②については点滴の薬(③は飲み薬)の為、1コースにつき5~10日程入院して行った。



①②の点滴投与の際、看護師が防護服を着てきたのにビックリしたが、抗がん剤が空気感染した場合、放射能の被爆に値する程の劇薬なのだそうだ。
内心ビクビクしたが、良く言われる吐き気等の副作用は一切なくて安心した。



ただし、どれだけ体力に自信があっても脱毛だけは避けられないとの事なので、事前に美容室で極限まで髪を短くして備えた。



しかし、抗がん剤投与後、2週間程で脱毛が始まった時は、さすがにショックだった。



仕事は、業務に支障が生じないよう可能な限り全てフル出勤し、入院時も特別にパソコンを置かせてもらい、部下への業務指示・経理への資金繰りの指示・求人の面接等の日程調整等を行った。



この時期は、脱毛の影響で常に帽子をかぶって仕事していた為、とても辛い時期だった。



◆引越し



術前化学療法が終わり、当初20センチ近くあった癌が数センチ小さくなった。



主治医の予想ではもう少し小さくなる予定だったらしいが、とりあえずいよいよ手術の時期が迫って来た。



この頃、仕事が忙しかったせいもあり、癌に関する知識が未だ不十分だった為、手術後どうなってしまうのか?全く見当がつかない。



もし従業員がミスをしたら?仕事が減ってきたら?



その時、もし自分の身体が動けなかったら?・・・。



色々と随分悩んだが、手術は少しだけ待ってもらい、急遽会社の近くに部屋探しを始めた。



そうすれば、何かあってもとりあえず何とかなるだろう・・・。



しかし、急に動いても、オフィス街という事もあり、なかなかいい物件がなく、結局引越しが済んだのは手術ギリギリ5日前だった。



◆手術



いよいよ手術の日が迫ってきた。



仕事の関係で、前日に入院した(本当は、手術の2日前に入院しなきゃならないらしいが)。



ずっとタバコは止められずにいたが、もう吸うことも出来ないのかと思い、入院日の朝、会社に寄り、最後に30本吸ってからタクシーで病院に向かった。



病院に到着したら、看護師にタバコ臭いですけど。吸ってきたのですか!?」と怒られた・・・。



手術については、親族全員が立会のもと、前回と同じく気が付いたら終わっていたが、全身麻酔の前に、背骨に硬膜外麻酔用のチューブを刺した時は、激痛で叫んでしまった。



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手術は、10時間の予定が8時間程で順調に終わったらしい。



意識が戻った時は、40度の高熱が出てうなされていた。



手術室が寒かった為、発熱してしまったとのこと。



主治医がやってきて、手術は大成功だったと報告を受けた。



肥大した癌が抗がん剤のおかげで小さくなり、すい臓を切除しなくて済んだとのこと。



もしすい臓を切除していたら、リウマチを発症し、別の病気で今後悩まされる所だった。



術後は合併症もなく経過は順調でしたが、手術の翌日から歩行練習をさせられたのにはビックリ。立ち上がった時、息が出来ませんでした・・・。



数日で点滴が外れ、身体に刺さった管も順調に外されたが、体重は1日1キロずつ減っていった。胃袋がなくなると、こんなに痩せてしまうのだ。



自分は筋肉質でやせ型なため、後で苦しむとは言われてたが、みるみる体力がなくなっていくのには驚いた。



結局、20キロ近く体重が減ったが、未だ戻らない状況に悩まされている(体重が戻るには、2年近くかかるらしい)。



術後1週間位して、主治医からいつ退院したいか聞かれ、自分で決める事が出来るのか?と不思議に思ったが、すぐ退院したいと告げた所、10日間で退院させられたのには驚いた。



通常は、3週間は入院するのだそうだ。



◆術後補助化学療法



手術後は、飲み薬の抗がん剤(TS‐1)を服用している。



28日間(4週間)服用したあと14日間(2週間)休薬する。



このサイクルを手術後1年目まで続ける(8サイクル)こととなっている。



この治療は少し遅れて始まったため、4月17日終了予定だ。



術後補助化学療法が遅れて開始した理由は、手術後の体重が予測よりあまりに減ってしまい、抗がん剤を服用するのに危険があったためだ。



退院直後、仕事でトラブルが生じて大変な事になっている、と連絡がきた。動かない身体を無理矢理動かして対応に努め、何とか修復したが、この時勤務先の近くに引越ししてつくづく良かったと思った。



しかし、現在も体力が全然回復しない原因は、この時期に十分療養しなかったためかも知れないと、今では後悔している。



ちなみに、10日間で退院したあと、会社へは最低でも3時間は出勤し、1日も休んでいない。



◆臨床試験・治療等による不利益・後遺症



化学療法手術による不利益後遺症については、個々人によって様々異なってくるようだ。



自分にとっては、大体次のとおり



  • ①食事量の制約→あまり食べ過ぎ、カロリーを摂ると、直後にだるくなる、もしくは3時間後ダンピング症候群になる。

  • ②体内にガスが溜まる→食物を摂取する時に一緒に入る空気もしくは体内に摂取された食物から発生するガスに苦しむ。

  • ③排便障害→胃がなく、腸が複雑な形状をしている為(汚い話なので、詳しくは書けません)。

  • ④体力の低下→術前の抗がん剤があまりに強力すぎたのかも知れません。体重が減りすぎ、筋力も落ちたため、ほとんどベッドで寝たことがない(背中が痛くなるため、ソファーで寝ています)。手術時、腹筋を切られた為、仰向けに寝たら未だ起き上がることが出来ない。


※主治医に聞いた所、オーケストラの演奏者で同じ様な病期の女性患者がいて、上記①~④が回復・安定してオーケストラの演奏をフルで行なうのに3年かかったそうです。



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◆今後の目標



  • ①3年・5年間の生存

  • ②禁煙

  • ③1日も早く体力を取り戻し、会社の業績安定・サービスの質の向上を目指す


以上



P.S. 胃がんを宣告され、「がん」に関する知識がゼロの状態のなか、これから闘病を続けるうえで私が最初に購入した本はこちら。





がんになったまずすべきこと。



患者目線から分かりやすく説明しており、大変分かりやすかったです。



その後も、何か疑問に思うことがあればまずこの本を見返すようにしています。





新版も発売されているようです。



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