【がんの家系】粗悪な家庭環境とそれぞれの確執

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【がんの家系】粗悪な家庭環境とそれぞれの確執


がん患者や家族の悩みと社会保障の不備


前回、まえおきのつもりで、がんと家庭環境人間関係について書きました。


▼前回の記事

【がんと家庭環境、患者と家族】病気は感情のヒダを繊細にする?

胃がん治療、術前抗がん剤投与2クール目前回まで、私が胃がん治療でおこなった術前化学療法、"抗がん剤投与2クール目"の話しを書いてますが、少々話題が横道にそれてしまってます(汗)▼前回の記事がんセンター入院中に驚いたり出来なかったこと - 胃がん臨床試験胃がん治療で経験した5回の入院生活私は、2011年の暮れに突然の胃がん宣告を受けました。それからというもの、治療や手術を行なうため、がんセンターで5回ほど入院生活...


がんをめぐり、患者本人や周りの家族それぞれに、それぞれの立場で悩みがあって、しかもなかなか解決が難しいのは、仕事生活環境変化危険が生まれることで不安ストレスが山積していくためだと思うのですが、そもそもこんな状況になったときに日本という国は我々を守ってくれるのでしょうか?社会保障も未熟で、とくに、がん患者さんを満足に救ってくれる公的保証などはほとんど存在しない現実があるのです。


がんの家系


私の家系はどうやら、がんの家系のようです。父親が胃がんで亡くなり、私も胃がん。かなり"遺伝的要素"が関係しているけれど、これだけではがんの家系とは言えないのでは?と思ってました。でも、他の親族もがんだったことを知るようになってきまして…。うちの家系はがんの家系なのかも知れない、と思うようになりました。


私の家系は男が胃がん、女が乳がん



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最近、私に近い親戚乳がんだったことを始めて知りました。


おととしに母親が亡くなりました。私は母親が再婚したあとに生まれた子ですが、実は私には、母親が前婚のときの父親違いの姉がおります。私とはちょうど20才違いで、"母親の死"をきっかけに初めて会ったのですが、そのときに、この姉も乳がんを患っていることを知りました。かつらをかぶっていて、ホルモン治療の後遺症でつらい思いをしていると言っていました。


どうやら私の家系は、男が胃がん女は乳がんという傾向があるようです。


ちなみに、私の姉も親戚も、守ってくれる社会保障がなくて苦しんでいるようです。とくに親戚のほうは、認知症と脳梗塞で動けなくなった家族がおり、自分も乳がん。誰も働くことも出来ないこんな厳しい環境に置かれても、国などから十分に保障してもらえる術がありません。唯一の社会保障制度には障害年金というものがありますが、がん患者はなかなか認められにくいうえ、これだけではとても生活など出来ないのです。


父親の胃がんで粗悪だった幼少期の家庭環境


胃がんでこの世を去った私の父親は、大正13年生まれです。私は、父親が50歳のときに生まれました。父親は私が5歳のときに胃がんとなり、その後再発。私が11歳のときに亡くなりました。私が物心ついた頃は、すでに父親が胃がんの闘病中。経営していた会社が倒産し、借金取りが病院にまでやって来ました。自宅の窓には新聞紙を貼り、外に灯りがもれないようにして生活していた記憶が残っています。


私にとってはずいぶんとつらい幼少期でしたが、胃がんになった父親父親違いの姉にとっても、それぞれにつらい悩み家庭環境確執がありました。その原因は母親でした。


母親と、がんになった我々とのそれぞれの確執


私が胃がん治療術前抗がん剤の2クール目に臨んでいる頃、疑問に思ったことがありました。「父親は抗がん剤治療をやったのだろうか?」母親に当時はどうだったのか聞いてみたことがあります。すると母親はこう答えました。「何かやってたみたいだけどさ、あれは悪魔の薬だから内容は聞いちゃいけなかったんだよ。


父親は胃がんになってから、母親と離婚しました。しかし離婚したあとも引き続き、ひとつ屋根の下で暮らしていました。父親は会社も倒産し、働くことも出来ずにいつも寝ていました。そんな姿を見て母親は、われわれ子供や親戚、近所中に悪口不満を言いふらしていました。


前回の記事にも書きましたが、がん患者の家族にも"第2の患者"という言葉があるように、ストレス不安悩みが起こります。悪口ばかり言っている母親を責めることは出来ませんが、幼かった私は、母親の悪口によって"父親はとても悪い人間"なのだというイメージを植えつけられていました。


しかし、父親が胃がんになったのは、40年近くも前の話しです。今でさえまともな社会保障がないのに、当時はなおさら、がん患者にとっては生きるのがとてもつらい世の中だったのではないでしょうか?今考えると、家族からまったくがんを理解してもらえず、父親には父親なりの苦しい悩みがあったに違いないのです。


母親との確執は、父親だけではありません。私ともそうでした。母親は私の胃がんについて、まったく内容を聞いてきませんでした。その無関心ぶりについて、父親が胃がんになったときのことが連想されました。私は母親から育児放棄をされ、大変つらい思いをした過去があります。母親の蒸発によって寝食ができないときもあり、腐ったものを食べたり、学校の体育倉庫で一夜を過ごしたこともありました。もう忘れたい経験ですが、私が胃がんになったあとの母親の態度を見ていると、ついつい昔のつらい過去が蘇り、怒りを感じてしまうのです。


母親との確執は、私の姉にもありました。私は母親から、前婚の夫が自殺してから家を追い出され、夫側の親が娘を渡してくれないから育てられなかったと聞いていました。母親は姉のことについても悪口をよく言っていました。姉は母親にたびたび仕送りをしてきましたが、「何か企んでいるに違いない」とかひどいことを言うのです。私は、よほど昔のことを恨んでいるのか、と思いました。姉については、会ったことはないけど、よほど裕福な家庭で育てられたのだな、というイメージが私のなかで出来上がっていました。しかし、これらの話しはすべて嘘であったことが、母親が亡くなったあとに判明しました。前婚の夫は病死。母親に捨てられた姉は誰も身寄りがなく、後見人がつけられていました。


そんな母親は、がんになった我々との、それぞれの確執をよそに、大病ひとつすることなく天命をまっとうしました。


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