「弟の身に何かあった場合は、連絡をもらえれば対応する。しかし、まだ身体が動く間は、何をされるかわからないので会う事が難しい」
実は、入院したのにも拘らず結局、がん治療を始める事が出来ませんでした。死亡率30%の危険性があるがん治療を行なうにあたって親族である兄に医師の側から何度も連絡したものの、折り返しの連絡がなかったからです。
そこで登場したのが冒頭の台詞。この台詞は一体、何を意味するのでしょうか?僕は急遽、病院を今日付けで退院するという最悪の結果となりました。
親族が非協力でがん治療できなかった4年間
前回の記事で、終わりの部分に「胃癌の肝転移が発覚した2018年。すぐに治療が出来れば良かったけど、この時は色んな意味でそのタイミングではなかった」と書きました。

唖然…胃がん術後 肝転移・再発した僕の治療法と死亡率【肺炎 膿胸あり】
前回からの続き。激痩せを実感したのは2度目となる入院日の事でした。出発前の身支度をしていたら、履いていくパンツが何もない(汗)どれもこれも手の拳一つ分ブカブカになっているんです。こうやって、首元にストールを巻くのなんていうのも本当に久方ぶり。結局、2時間の遅刻で着きました。そんな僕を待ち受けていた病院からは、今後の治療法に関して大変ショッキングな事を告げられる事になります。以下は、肺炎(膿胸)の状況...
それ以降も、がん治療のタイミングは訪れるのが簡単そうにみえてそうではなかった。何故かというと、その理由の一つに“親族の非協力”があったからです。
それから4年が経った訳だけれど、救急搬送された今回すらも未だがん治療のタイミングじゃなかったというのか⁉︎実は今回も同様の障害に打ち当たりました。それを指し示すのが記事冒頭の台詞です。
しかし、病院から何度もかかってくる電話に流石の兄もビビったのでしょう。昨日、医師宛てに折り返しの連絡があったそうです。ところが、兄は電話口でさんざん私の悪口(全てデマ)を言った挙げ句、記事冒頭に掲げた台詞を発したといいます。
「弟の身に何かあった場合は、連絡をもらえれば対応する。しかし、まだ身体が動く間は、何をされるかわからないので会う事が難しい」
医師に折り返しの電話をかけてくるなんて、奇跡ともいえる非常に珍しい事です。何しろ、これまでは誰が連絡しても散々逃げ回って一度も折り返しがなかった訳ですから。私の弁護士に至っては、それが仕事じゃないのに何百回かけた事か…
僕は、これを聞いて呆れたというよりも、自分の兄が過去に一度、道を踏み外してしまってから、いまだに全く成長がみられていない事実に正直ビックリしました。
自分の常識は相手も常識とは限らない【兄の場合】
折り返しの電話にこれほど時間がかかったところを見ると、その理由は過去を参考にしてざっとこんな感じだったのかなあ、と。
①なぜ自分が折り返しの電話をしなければいけないのか?と、電話応対した奥さんにキレて暴力を振るったりしていた。
②自分の代わりに電話して話しを聞いてくれと奥さんに命令して、嫌がられて喧嘩になっていた。
③医師に折り返し電話をするための予行練習を奥さんとしていた。
これを見た読者の方は、いい歳(今年56)して何を、と思うかも知れない。しかし、兄にとってはこれが常識なのだ。おそらく、医師のほうも兄と話しをしていて「この人は何を訳わからない事いっているのだろう」と思う部分が多かったのではなかろうか?挙げ句の果てには現在コロナに感染していて人と接触できないとまで言ってきたらしい…
重大犯罪を犯し、表舞台から姿を消してから二十数年が経過した私の兄。人は、兄と話すと訳が分からないといい、中には怒り出す人まで現れたものだ。何故なのだろうか?それはおそらく一線を越えた者(非常識な事が言動に含まれる)とそうでない者との考え方が全く違うからなのだろう。だから、人間は一度たりとも一線を越えるような悪事をはたらいてはいけない。
例えば、これはブログのメールフォームを使って送られて来たメール。送信者は無記名だったのだけれど、調べたら僕の兄が他人になりすまして送って来た事がバレたものだ。
まとめ
上のようなメールを送って来てから間もなく4年が過ぎ去ろうとしている。ちなみに、本人はインターネットを検索して調べるといった事すらできないため、知識的な事は奥さんが入れ知恵していると聞いた事がある。一時は、僕に癌が再発しただなんて嘘に決まっていると周りに言いふらしていたらしい。本来であれば、弟の面倒を見るのは貴方なはず。当人たちは、弟を死なせる事態にまで追い込んだ事をどう思っているのだろうか?最近では前よりも滅法、宗教にのめり込んでいる様な話しも風の噂で伝え聞いているが…
ちなみに、次回の入院は来週の月曜日。親族の同意書の取り付けを並行しつつ、医師の配慮によって抗がん剤等の治療は火曜日に決行してもらえる予定だ。しかし、死の危険は入院時に最初の抗がん剤を投与した直後から早くも訪れる。仮にそれを乗り越えたとしても、その後に予定される外来による抗がん剤治療に通う事が出来なくなれば、治療はそこで終了(あとは死を向かい入れるだけ)となってしまう。
いずれにせよ現在は、まともに階段を上がったりさえ出来なくなった自分自身の身体を見る限り、困難を極めそうだ。
という訳で、これまで僕のために方々へ連絡をとって助けて頂いた方々(所沢の接骨院さんなど)にはこの場を借りて改めて深謝する次第です。本当にありがとうございました。
といっても、まだ自分は死んでませんので(汗)有志の方々は引き続き宜しくお願い申し上げます。