「次に私と会う時は死ぬ時だと思って下さい。」
胃癌で抗がん剤治療を行なってから約11年半が経過した2023年6月。まさか、自分が再発と肝転移によって再び抗がん剤治療を受ける事になるとは誰が予想できただろうか?さらに、今回は抗がん剤に加えて分子標的薬という得体の知れないオマケ付きなのです。
ちなみに冒頭のセリフは、胃癌の抗がん剤治療で僕を担当して頂いた、がん研究センター中央病院の腫瘍内科医が当時発したもの。
さて今回は、分子標的薬と抗がん剤について、現在進行形にて体験中である副作用の経過報告や、治療期間など簡単な所感を述べていきますが、そもそも何故、冒頭からショッキングとも言える腫瘍内科医からの言葉を最初に書いたのでしょうか?
分子標的薬、抗がん剤を投薬する「SOX + HER」療法のスケジュールと治療期間
まず最初に、分子標的薬、抗がん剤を投薬する「SOX + HER」療法とはどんな治療法なのか?
これについては以前の記事で薬品毎の副作用やスケジュール、治療期間といったあらましをご紹介していますので、ご一読くださいますと幸いです。

唖然…胃がん術後 肝転移・再発した僕の治療法と死亡率【肺炎 膿胸あり】
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退院後、抗がん剤を服用しながら自宅で様子見
ちなみに、悪化して治療不能の膿胸(のうきょう)を患った体で今回のがん治療(化学療法)をおこなうのは生命に30%の危険が及ぶとの事で、その後どうなるか誰も予測不可能。とりあえず様子を見ない事にはどうしようもなく、12日間で退院しました。
そして、退院後もティーエスワンという抗がん剤はスケジュール通りに2週間の服用を続け、何とか無事終了させる事ができた次第です。
分子標的薬、抗がん剤治療中の食事について
分子標的薬、抗がん剤治療中に、体力を維持させるためとても大切なのは食事だ。今回の入院時、病院食はすべて常食で、点滴による栄養摂取をおこなわなかった。
分子標的薬、抗がん剤治療中の病院食例 【朝食】
分子標的薬、抗がん剤治療中の病院食例 【昼食】
分子標的薬、抗がん剤治療中の病院食例 【夕食】
上の画像はその一例ですが、だいたい8割ほど食べられた。
なお、退院後はどうすべきか?現在は、膿胸によって時間をかけた料理をする事ができない。なぜなら、現状は医療用麻薬の痛み止めを服用しつつ、左の肺だけで何とか呼吸が出来ている状態なのです。
食料の買い出しで近くのスーパーにさえ行く事も出来なくなった今、知り合いが大量のレトルト食品を送ってくれた。本当にありがとうございます!そんな訳で、当面はレトルト食品を上手に活用した食事をしていく他なさそうです。
唖然!今回の化学療法で新たに体感した副作用らしき症状とは
胃癌の治療時に、ガッツリと抗がん剤を経験したのだけれど、当時は副作用の症状として下痢と脱毛くらいだったような気がする。今回も何とか平穏に切り抜けてくれたらいいなぁ…と思っていた所でしたが、ティーエスワンを飲み終えたあたりから体への異変を感じ始め、化学療法の副作用らしき症状が表れました。
今回の化学療法で僕が新たに体感した副作用らしき症状とは、発熱と味覚障害です。とくに、味覚障害の方は舌がバカになったかのようで、思わず唖然としてしまいました。
上のレトルト食品を活用して作ったバジルソースの温玉スパゲッティ。
ひとくち食べた瞬間、ビリビリと舌への刺激と同時に強烈な吐き気を感じたのです。これはヤバイと思い、慌ててトイレに駆け込み、ぜんぶ吐いてしまいました。
何が良くなかったのか?一つづつ具材を食べて確かめた所、炒めたベーコンが通常の何倍も塩っぱく感じる…。ならば、と、ベーコンを取り除いて五口ほど食べたら、再びぜんぶ吐いてしまったのです。どうやら、調味料もダメみたいで完全にアウトのようです(汗)
トラウマになった腫瘍内科医のセリフ
抗がん剤や分子標的薬といった化学療法に伴う副作用の意味について、僕がここで気になったのは、記事冒頭に掲げた下記(再掲)のセリフ。
僕にとって癌の再発や抗がん剤はトラウマになってしまっているのです。
僕は約11年前に胃癌の術前化学療法で抗がん剤を終えた際、腫瘍内科医からこう言われて以来、「嗚呼…癌が再発したらもう、再び抗がん剤を投与する位では助からないのか」と思ってきました。
そして、今回の治療を行うにあたり、がん研究センター中央病院へのセカンドオピニオンという話が持ち上がった際に、上のセリフがいよいよ現実味を帯びて来たではありませんか!
実は、セカンドオピニオンを受ける紹介先に、当時の腫瘍内科医が在籍しているのです(汗)
がんセンターのHPでその事を知った僕は非常にビックリしましたが、セカンドオピニオンが取り止めとなった事で何とか救われた思いがしました。
まとめ
運良く?腫瘍内科医と再び会う事は回避される流れとなったけど、いよいよ抗がん剤の副作用が始まったりと、現実はかなり厳しい。しかし、副作用は2次的作用という良い意味にとらえ、きっと主要な作用も及んでいるのだ、と前向きでいようと思います。
それにしても、副作用の様子見をする間もなく来週から始まる2クール目の化学療法。3週間て早過ぎやしないだろうか?胃癌の時は1クールが4週間だったので尚更そう感じてしまうのかも知れません。
そもそも、親族の同意・協力が条件とされる今回の「SOX + HER」療法。したがって、体調如何に関わらず、あの兄貴の事だから途中でいつ中止となってもおかしくない状況の中、よく病院は見切り発車してくれたものだ。

【胃がん 術後 肝転移 肺炎 膿胸】親族の非協力で治療が再び頓挫する事態に
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そういえば今回、トラウマになった上のセリフを取り上げたら、ちょうど同じ頃に物騒な言葉を使った人間の事を思い出した。それは、がん治療でいつもネックとなっているこの兄貴の事だ。最後の術前抗がん剤治療を終えていよいよ根治手術に差し掛かろうという時、兄貴は僕にこう言ったのだ。
マウスオーバーorタップでgif再生
僕は、さんざん拒否したものの結局、現在もほとんど開けた事もない高額の仏壇を買わされたのです。これが現在の出来事だったら、ご時世的に問題となる所でしょう。創価学会も霊感商法まがいの事を行なっていると…。果たして、僕以外にこの兄貴から同じ手口で被害を受けた人はどれ程の数にのぼるのか?考えただけでゾッとしてきます。
以上のように、がん治療をしているとトラウマになったり物騒な言葉と遭遇する機会が多いように感じるのは気のせいでしょうか?ここ最近でも、観念はしていたものの、実際に言われてみたらショックを受けた言葉がありました。それは、医師から宣告された「緩和ケア」というセリフですが、その時の医師との会話をたまたま音声に記録してあるので、プライバシーを考慮の上、もしも上手く編集できたら次回の記事で公開してみたいと思います。